寒霞の彼方に心馳せる

written by ゆき 様

初めまして、この度は参加させていただきまして誠にありがとうございます。
ネタバレは特にないかと思います。

「海外で学会?」
 彼の口から出てきたワードに私は目をしばたたかせる。
 そうなんだ、とシモンは一旦言葉を切ると、
「できればきみにも来て欲しいなと思ったんだけど、仕事があるよね」
 彼のひとことで私は一気に現実に引き戻された。
「う……、今新企画が進んでいて、その、取材にも行かなきゃいけないし、資料集めにも……」
 やらなきゃいけないことはごまんとあるが、番組顧問の手を借りるわけにはいけない事をが身に沁みる。そんな私の様子を察したのか、
「別に気にしなくていいよ。代わりにおみやげを買ってくてあげるから、ね」
「……シモンって時々、私を子供扱いしていない?」
「そんな事ないよ。かわいいなとは常に思っているけど」
「か、かわいい……ってやっぱり……」
 彼からは大人として見てもらえていないのかなと時々考えてしまう。確かに見た目も年相応には思えないし、思考も彼に比べたら幼いのかも……。そこまで考えた所で、私の沈黙を不審に思ったのか、受話器越しに焦るような声音が聞こえてきた。
「ごめん、僕の言い方がまずかったかな?」
「ち、違うの!別にそんなんじゃないから」
 慌てて取り繕ってみるが、多分恐らく彼は感付いてしまっているだろう。
 案の定、次に彼の口から出てきた言葉は、
「今日は珍しく早く終わりそうなんだ」
 私は間を置かずにするりと返事していたのだった。

 自宅マンションではなくて、恋花大学からほど近い、カフェで私達は待ち合わせをした。
 最近、何故か外で会う時はここを利用することが顕著になっている。
 比較的街中にあるにもかかわらず、落ち着いた空間であるがゆえに私はすぐにお気に入りの場所になった。それから、シモンにも紹介したら、彼も研究に疲れたら時折足を運んでいるらしい。
「今日は何にしようかな」
 メニューのおすすめを目で追っていると、向かいの席にゆったりと腰を下ろした彼は暖かな笑顔を浮かべると、
「いつものミルクティー、じゃないの?」
「た、たまには違うのにしようかなと思ったんだけ、ど」
 メニュー越しにその微笑みを目の当たりにする。その表情があまりにも素敵過ぎて私は思わず手を滑らせてしまいそうになるが、何とか持ち直して、
「今の気分的にちょっと違うのが飲みたいかなって」
「じゃあ、僕と同じにしてみる?」
 え、と私は刹那戸惑い気味に、
「シモンのいつものやつ、ってブラックコーヒーじゃなかったっけ?」
「そうだね。もしかして、大人の味すぎてきみにはまだ早かったかな」
「そ、そんなことないよ。たまにはそうしようかな……。これからの仕事に備えて」
 そうなのだ。私はこのあと会社に戻らないといけない身だった。
「――いい眠気覚ましになれば僕も嬉しいよ」
 彼は珍しくからかい気味に笑う。
「なんか、すごく居た堪れない気持ちになってきたよ」
 結局,、私はコーヒーを諦め、かといってミルクティーでもなくカフェラテを口にしている。
「はー、落ち着く」
 肌寒くなってきたこの時期、暖かい飲み物が心も体もほっとするのだ。
「きみは体に優しそうなものを好むよね」
「そういうシモンの食生活……だけでなく生活全般がいつも心配だよ」
 やれ徹夜だの、数時間も寝ていないだの、彼の冷蔵庫の中身のことだの数え始めたらきりがない。だからといって、私が彼を監視できる立場でもないことは重々承知している。
「ふふ、きみにそう思ってもらえるなんて嬉しいよ」
「笑い事じゃないんだけどなあ。第一、今回も日帰りじゃないんでしょ?」
 向こうへ行っている間の食生活のことを、まず考えてしまう自分も大概だなとは思うが。
「その事なら心配いらないよ。ホテル宿泊だし」
「じゃあ、ちゃんと睡眠はとること、必ずね」
「まるで、きみは僕母親みたいだね」
 苦笑いする彼を見つつ、
「だって、私がいくら口を酸っぱく言ってもシモン教授は寝てくれないから……」
『わかったよ』はもう幾度となく聞いたし、全然分かっていないのも紛れもない事実だ。
「それなら、僕が帰国したらきみが隣で寝てくれるかな」
「――え?」
 冗談だよ、と微笑まれたが、とてもそうとは思えない笑みだった。

 それから数日経って、彼を空港で見送る私がそこにいた。
 シモンはあまりかからないで戻るとは言ったが、私はというと案の定企画の準備に追われて慌しい日々を送っていたある日、自宅で仕事の疲れを癒していたら彼からLIMEの通知が届いた。

『明日には帰れることになったよ』

 私は我慢できずに通話をタップしていた。すると、そう間を置かずに聞き慣れた声が耳を通り抜けてきた。
「おかしいな、なんかとても久しぶりにきみの声を聞いた気がするよ」
「ご、ごめん。シモンの都合も考えないで」
「そんなことないよ」、と画面越しにくすくす、という囁きにも似た笑い声に心地よさを感じながら、
「でも、もっと掛かるかも知れないと思っていたよ」
「なんで?」
 私は相手に見えるわけでもないのに頤に人差し指を宛がいながら、
「うーん、なんとなく……勘かな」
「それじゃ、きみの勘は外れたということでいい?」
「……まあ、しょうがないけど、そうだよね」
「で、僕に早く会いたいとは思ってくれなかったのかな」
 彼の突然の言葉に私は激しく動揺してしまう。
「どうしてそうなるの?!」
「きみ的には長引いて欲しかったように聞こえたから、かな」
 絶対楽しんでいるな、と瞬時に悟りながらも、彼には勝てないなと思うしか術はなく。
 そこで私はある行動を思いつく。
 決して、そうは思っていなかったことを伝えるために。

 私はスマホの向こう側にいる彼を想い、そっと画面越しに口吻けた。それは微かな音にもかかわらず、察しのいい彼には気付かれてしまったみたいで。小さな笑い声が聞こえたかと思った次の刹那、
「誰かさんはせっかちだね。再会の楽しみを僕にはくれないの?」
「「そ、それは……」
 よかれと思ったことが裏目にでも出てしまったのだろうか。今しがたとは別の意味で顔に熱を帯びてきた私は咄嗟に口に出していた。
「じゃあ、空港でシモンを見つけたら思いっきり抱きしめてあげるんだから!」
「きみが……僕を?」
 今度は受話器の彼方から笑いを堪えるような声が聞こえてきて、そこで自分が如何に大胆な発言をしたか実感するまでそう時間はかからなかったのである。

改めまして、シモン教授生誕おめでとうございます!
今年もこれからも幸せが訪れるように見守らせて頂きたいと思います。