永遠ではなくても

written by かほ 様

シモン教授、お誕生日おめでとうございます!他担(ハク担)ではありますが、箱推しなのでお誕生日をみんなでお祝いしたく、この素敵な企画に参加させていただきました。解像度が低いところには目を瞑っていただければ嬉しいです

シモンの誕生日!
今年も一緒に旅行をしようと二人で決めていた。行き先について悩んだあげく私が選んだのは、とあるさびれた海沿いの街だった。目的地を聞いてシモンは意外そうな顔をしたけれど、水着とラッシュガードに着替えた彼を海岸に連れてくるまで、旅の目的は明かさなかった。
「じゃじゃーん、砂風呂だよ。シモンにゆっくりリラックスしてほしいから」
笑顔でそう告げると、
「きみは入らないの?」
シモンが不思議そうな顔をする。水着に着替えず、スカートを穿いたままなのが気になったらしい。
「私はやることがあるから。それに、今日はシモンの誕生日だから、シモンにくつろいでほしい」
「僕はきみにもくつろいでほしいけどね。きみさえいてくれれば僕は何もいらないのに」
私の眼差しをしっかりととらえて静かに告げられた言葉に、知らず顔が赤らんでしまう。その顔を見られるのが恥ずかしくて、
「さあ、浴衣着て」
彼を急き立てて、砂風呂用の浴衣を着るように促した。砂風呂には短時間だけ砂の中で温まるものが多いけれど、ここの砂風呂はデトックスを目的としていて、長い人は半日間、まどろみながら砂の中で過ごすらしい。忙しさのせいで睡眠を疎かにしがちなシモンには、ぴったりのリラックス法だと思ったのだ。ここの砂風呂なら、さすがのシモンもきっと眠ってくれるはず――

浴衣に身を包んだシモンの体が、スタッフの人たちの手によって、砂の中に埋められていく。
「なにか、不思議な気分だよ」
頭だけ出したシモンが言う。
「苦しくない?」
「平気だよ。でも、きみと一緒じゃないのは寂しいな」
「しばらく話し相手になるから安心して」
私はシモンのそばにしゃがんで、来る途中の車窓から眺めた山の話やら、道端の花の話をした。何気ない日常の景色も、シモンと話すとすべてが愛おしく感じられる。彼に会えない時間が長いせいで、こうやって一緒に過ごす一瞬一瞬がとてもかけがえのないものに感じられるのだ。
しばらく話していると、彼が静かに寝息を立てだした。砂風呂の効果だろう。わずかにひそめられた眉や、ゆるく閉じられた形のいい唇をずっと見つめていても見飽きない気持ちだったけれど、私にはやらなければならないことがある。
パラソルがきちんと彼の体に影を作っていることを確認して、急いで今日泊まる部屋に戻った。今夜の夕食は特別なメニューにするようお願いしてある。宿を予約する時、誕生日のお祝いをしたいのだと相談すると、ミニキッチンつきの独立した離れがあると教えてもらった。チェックインしたときに確認すると、ケーキのデコレーションをするには十分の広さがあった。ドライフルーツ入りのパウンドケーキを焼いて持ってきたので、カットしてラウンドケーキのように組み立ててバースデーケーキにするつもりだった。ホイップクリームのスプレー缶も持ってきたし、飾りつけ用のフルーツも特別に用意してもらっている。
シモンは砂風呂の後には温泉に入るはずだから、ケーキはその間にデコレーションすればいいだろう、そう考えて、まずは部屋の飾りつけをすることにした。
エントランスに大きな風船を飾り、Happy Birthday!と書いたペーパーガーランドを鴨居に飾りつける。棚にはドライフラワーにしたくなっしーの花やマーガレットを飾り、テーブルには、去年の誕生日からの1年間に撮り溜めた写真の中からお気に入りをまとめたアルバムを置いた。綺麗に飾られた部屋を見ると、今日という日の特別さにうきうきした気分になってくる。
飾りつけに満足してシモンの様子を見に海岸に戻ると、彼はまだ眠っているようだった。ほっとしてもう一度部屋に戻ろうと腰を浮かすと、
「どこに行っていたの?」
彼のかすれた声が私に迫ってきた。薄く開いたその目は私を見ているようでいて、どこか遠くを見ているように焦点が定まっていない。
「……ちょっと部屋に戻ってただけだよ」
「どこにも行かないで。一人で目覚めるのは嫌なんだ」
告げられたのは、シモンらしくないわがままだった。話し方も、いつもの彼より幼い気がする。
砂の山の中からシモンの右手が伸びてきて、私の手首をつかんだ。私の手が砂まみれになっても気にする様子がないのが、いつものシモンらしくない。どうやら彼は、寝ぼけているようだった。ぽかぽかの砂に包まれて、夢と現の間をさまよっているのだろう。
「もうどこにも行かないよ」
そう言うと、ほっとしたように目を瞑る。
私は部屋に戻ることを諦め、そのままシモンのそばにいることにした。ケーキのデコレーションをする時間はまだたっぷりある。シモンと穏やかな時間を過ごしたくて旅行にきたのだから、何を優先すべきかを間違いたくなかった。
浅い夢の中をたゆたうシモンの眉根が、時々何かに苛まれているようにゆがめられる。そのたびに私は彼の手を握りしめ、どこにも行かないよ、そう囁いた。
湿気を含んだ潮風が私たちを包む。小春日和の太陽に温められたその風は、冷気の中にもふんわりとした温もりがあって、まるでシモンのようだと思った。
そして――いつの間にか私も砂の上に座ったまま、眠ってしまったらしい。
「風邪をひくよ」
優しい声に目を開けると、私を見上げるシモンと目が合った。
「起きたの?」
「うん。きみの寝顔が可愛いから、しばらく眺めていた」
「もう!」
恥ずかしさに顔を逸らすと、シモンが繋いでいた手を強く握った。
「体が冷えたんじゃない? きみも温泉であったまった方がいい」
「でも、やりたいことがあるし」
「髪の毛が砂まみれだよ。その格好で部屋に入るつもり?」
自由な方の手で髪を触ると、確かに髪の毛は風に弄ばれて乱れ放題な上、砂がいっぱいついている。
「あの部屋、お風呂もついていたよね? きみが温泉に入りたくないなら、一緒に入って洗ってあげてもいいけど」
私の反応を楽しむためにこんなことを言うのだ――そうわかってはいても、やはり恥ずかしさに顔が赤らむのはどうしようもない。それが何となく癪にさわってシモンの手を振りほどくと、彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、
「ごめん。怒った? 謝ったら機嫌を直してくれる?」
私が彼のお願いを拒めないことを知っているくせに、そんなことを訊いてくる。
「シモンはずるいよ」
拗ねた声で呟くと、
「ごめんごめん。僕が悪かった。きみと僕はこれから別々に、温泉の女湯と男湯に入る。それでいいよね?」
シモンはそう言って、私の返事も聞かずにスタッフを呼び寄せてしまう。ミネラルウォーターを持って走ってきたスタッフは砂の中からシモンを掘り出しながら、温泉への道順を丁寧に教えてくれた。

もう冬が近づいているからだろう、砂浜を歩いているのは私たちだけだった。少し遠くにあるという砂風呂利用者用の温泉まで、シモンと手を繋いでのんびりと歩く。二人の影が砂の上で重なりあっているのを見ると、少女のように心がときめいた。恋花市での毎日では望むべくもない穏やかな時間だ。
「砂風呂に入っていた時、夢を見ていたんだ」
黙って歩いていたシモンが、ふと静かな声で語りだした。私は何も言わず、ただ耳を傾ける。
「……目覚めても誰もいない夢。あの時みたいに、目覚めても僕一人だけだった。独りぼっちになるぐらいならもう目覚めなくていい――そんなことを思っていると、きみの声が聞こえてきたんだ。ずっとそばにいる、きみはそう言っていた」
私に語っているのに、シモンの声はどこか独り言のようでもあった。私は繋いだ手に力を込めると、シモンを見上げた。
「私はずっとそばにいるよ。約束する。だから、シモンもずっと私のそばにいてくれるよね?」
少し驚いたような表情がシモンの顔に浮かんだけれど、それはすぐに彼の穏やかな笑顔にかき消された。
「うん。僕はずっときみのそばにいるよ。永遠なんてないのは知っている。だけど、覚えていてほしい。僕もきみもこの世界からいなくなってしまっても、僕がきみを大切に思っていたというこの事実はずっと消えないんだ」
「……ずっとそばにいてくれたら、忘れないよ」
彼が消えてしまいそうな不安を感じてそう言うと、シモンは立ち止まり、私を抱きしめてくれた。彼の香りはいつだって私を安心させてくれる。でも、砂の中に埋まっていた彼からはいつものあの爽やかな香りは消えていて、形のない不安は私の中でとぐろを巻いたままだった。私の不安を感じ取ったのか、シモンは私の顎をつかむと、軽く額を合わせ、笑った。
「僕が温泉に浸かっている間、何をするつもりだったか教えてくれる?」
笑顔のシモンに計画を隠し通せるほど私は強くない。ケーキのデコレーションをするつもりだったと白状すると、彼はくすくす笑いながら、二人でやった方が早いと思うよ、そう言った。
「シモンを驚かせたかったのに」
「おばかさん。まだわからない? きみと過ごす1秒1秒が僕にとっては驚きに満ちているんだ。サプライズは必要ない」
シモンの言葉を、私は信じることができなかった。だって、シモンに驚かされるのはいつも私の方なのだ。今のこの瞬間のように。そのことが悔しくて、シモンに顔を近づけ、その頬に軽くキスを落とした。驚いた顔の彼に、
「お誕生日おめでとう!」
笑顔で告げ、その体に両腕を回して抱きつく。
永遠に共にいることはできなくても、来年もその次の年も、この日をずっとずっとシモンと一緒に過ごしたい。それは、願いでも希望でもなく、固い決意だった。
「ずっとシモンのそばから離れないからね」
シモンの体温を感じながら、私は誓いの言葉を繰り返した。この胸の中にある不安も喜びも、そして希望ですらも、すべてシモンに教えてもらったものだ。シモンに会わなければ、私は今の私ではなかった。
彼が未来に何を見ているのか、今の私にはまだわからない。だけど――
それが何であろうと、私は受け止め、彼の側に在り続ける。だって、彼を選んだときに自分でそう決めたのだから。