手紙

written by 板録 様

ここのところずっとシモンは研究で忙しくしているようで、連絡の頻度も下がっていた。
彼と会えない日が続くというのは、珍しいことではないけど……何度経験しても、慣れる気がしない。
元気にしているのか。食事と睡眠はちゃんととれているのか。
ほんの少しでいいから、今の姿を確認したい。
でも、多忙な彼に無理をさせて時間を作ってもらうのも申し訳なくて……私は何も言えないまま、研究所に差し入れだけを残して外に出た。

「……まだ、帰りたくないな」

いつもならこのまま家に戻っていたのだけど、今日はなんだか後ろ髪をひかれてしまった。
しばらくこの辺にとどまろうと思い、近くにあったカフェのテラス席に座る。
秋らしいほんのり冷たい風と、あたたかな太陽の光が心地いい。
カフェオレを飲みながらぼんやり空を眺めていたら、ふとあることを思いついた。

「そうだ、手紙……」

シモンに宛てた手紙を書こう。
実際本人に渡すかどうかは後で考えるとして、会えない間に積もっていった気持ちを、とりあえず手紙にしたためてみよう。
アイドルファンのスタッフが以前、「推しへの想いが溢れそうになったらファンレターを書くのが一番です! 気持ちの整理が出来てすっきりしますよ」と言っていたことを思い出しつつ、カバンの中を探る。
都合よくレターセットが入っていた、なんていうことはなかったので、ノートを一枚破り、下書きのつもりで書いていくことにした。

「まずは……」

研究の邪魔になったら申し訳ないと思って伝えていなかった最近の出来事を書いてみる。

シモンと意見を交わしあいながらコンセプトを決めた番組の評価が高くて嬉しかったこと。
新しく出来た洋菓子店のカボチャプリンがすごく美味しかったから、今度差し入れで持っていこうと思っていること。
今度始まる美術館の企画展が気になっていること。

近況報告を一通り終えて、本題に入る。

最近、風が冷たくなって、すっかり秋めいてきたね。
すごく忙しくしているだろうし、難しいかもしれないけど、食事と睡眠だけはできる限りとってくれると嬉しいな。
研究第一でもいいから、第二に自分を置いて……自分のことを大事にしてほしい。
いつでも、どこにいても、私は――

そこまで書いたところで、一人の足音がこちらに近づいて来た。
私は慌てて紙を裏返し、顔を上げる。

「嘘……」

そこには、ずっと会いたいと思っていた人が立っていた。

「おはよう。今日は随分早かったんだね」

まるで約束をしていたかのように、彼は自然に私の隣に座った。
彼が持っていたコーヒーの香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。

「お、おはよう……。えっと……奇遇だね?」

シモンは驚く私を見てくすりと笑い、さっきの差し入れのお礼と、ここに来た経緯を伝えてくれた。
なんでも、研究所の人が私をカフェで見かけたと報告したらしい。
手紙を書くのに集中しすぎていたからか、ここに顔見知りの人が来ていたなんて気づいていなかった。

「少しだけ休憩するつもりだったから、ちょうどいいと思って来たんだけど……きみにとっては、あまりいいタイミングではなかったかな」

彼は紙を裏返している私を見て、形のいい眉を下げる。

「違うの、この手紙は……その……」
「手紙……そっか。手紙を書いていたんだね。それならやっぱり僕は戻ったほうが――」
「そ、そんなことないよ! シモンが戻る必要はないよ!」
「本当に?」
「うん。だってこれ……あなたに宛てたものだから」

隠していても仕方がないので白状すると、彼はわずかに目を見開いた。

「ほら、私たちしばらく会えてなかったでしょ? 普通に連絡することも出来るけど、この時間を使ってあえてアナログな伝達手段を試してみるのもいいかなーと、思って……」

私の早口の言い訳を聞きながら、彼はテーブルの上にある紙に視線を移す。

「僕宛の手紙ということは……今読んでしまってもいいのかな?」
「今……?」

こんな状況で読まれることは想定していなかったので、思わず目を泳がせる。
そもそも、実際に渡すかどうかもまだ決めてなかったし……どうしよう……。

「見れば分かると思うけど、これ、下書きだから読みにくいと思うよ? それでもいい?」
「もちろん構わないよ」

即答されてしまったので、渋々押さえていた手を離す。
シモンは紙が風で飛ばされる前に手に取って、読み始めた。

「……」
「……」

沈黙が流れる中、彼の視線が少しずつ移動していくのをチラチラ眺める。
なんとも言えない、不思議な気分だ。
企画書を目の前で読まれる時以上に緊張している気がする。
しばらくして、彼は手紙をテーブルに置いた。

「きみらしい、心のこもった素敵な手紙だね。一つ一つの言葉から気持ちがよく伝わってきたよ」

拙い内容だったと思うけど、気に入ってくれたようだ。
彼のやわらかい表情を見て、ホッと胸をなでおろす。

「……僕のことを、心配してくれているんだね」

シモンは少し目を細め、こちらを見つめながらつぶやいた。
その慈しむようなまなざしに、ちょっと心がむずむずしてしまう。

「きみの近況を知ることが出来たのも良かったよ。ここ最近、そういった連絡がなくて少し寂しかったんだ」
「えっ……そうだったの?」
「きみからの差し入れとメッセージが、研究所にこもっている僕の唯一の楽しみだったからね」

気を遣ったつもりが、裏目に出てしまっていたらしい。
そんなふうに思ってくれていたなら、色々送っておけば良かったな……。

「カボチャプリンと美術展を楽しみに、この後も頑張るよ。……ああそれと、一つ気になるところがあったんだけど」
「もしかして……最後のところ?」
「うん。ここは、なんて書く予定だったのかな?」

最後について聞かれることは、はじめから予想していた。
あんな書きかけの文章があったら、誰だって続きが気になるだろうから。

「そこはね……いつでも、どこにいても、私はシモンのことを応援してるよって書こうと思ってたの」

本当に書こうと思っていた言葉は、今伝えるには照れくさいものだったから……あらかじめ用意していた別の答えを口にする。
でも、応援してるというのも嘘じゃないので、どうか許してほしい。
私は心の中で彼にひそかに謝った。

「ありがとう。きみがいつも応援してくれていると思うと、心強いよ」

彼はそう言った後、コーヒーを一口飲んで椅子から立ち上がった。

「……そろそろ行かないと」
「もう研究所に戻っちゃうの……?」

咄嗟に声をかけると、シモンは困ったように小さく息を吐いた。

「きみにそんなふうに言われると、ここに残りたくなってしまうな」
「あ、ごめん……! 困らせようと思って言ったわけじゃなくて……!」
「うん、分かってるよ。……全部、分かっているから」

シモンは優しい指使いで、私の髪をそっと梳いてくれる。
指先から彼の体温をかすかに感じて、胸の奥が小さく音を立てた。

「この手紙、このまま僕がもらってしまっても構わないかな?」

思わず首を縦に振りそうになったけど、私は慌てて横に振りなおす。

「ダメなの?」
「せっかくだから、ちゃんとしたものに書いてから渡したいの」

私の言葉を聞いたシモンは、どこか嬉しそうに微笑んだ。

「これはこれで味があるから少しもったいない気もするけど……きみが書く予定だった本当の言葉を読むことが出来るなら、嬉しいな」

ああ、そっか。
シモンは私が違う答えを言っていたことに気づいていたんだ。
本当に彼は、全部分かっていたんだ。

「今度はちゃんと……本当の言葉を書いて、シモンに贈るね」

いつでも、どこにいても、私はあなたのことを想ってる。
大好きだよ、シモン。

シモン、誕生日おめでとう!
去年この企画に参加してからもう一年が経ってしまったなんて……時間というのはあっというまに過ぎていきますね。
周りの環境が変わり、私自身もこの一年で大きく変わりましたが、あなたの幸せを願うこの気持ちは今でも変わっていません。
来年もこうして、皆さんと一緒にお祝い出来ますように!