3日前:二人で一緒に

written by かほ 様

シモンの書斎で一緒にお茶を楽しんでいると彼の携帯電話が鳴った。
「研究所からだ。ちょっと待ってて」
電話を手にとなりの部屋にいくシモンを見送って手持ち無沙汰で部屋の中を見渡すと、書架の一番下の段に分厚い英語の画集があるのが目に入った。気になって引き抜いてみると、それはターナーの画集だった。19世紀のイギリスロマン派の画家だけれど、印象派の祖のように見なされているのだったっけ、と高校の美術の授業で習ったことを思い出す。光や空気まで表現しようとした曖昧なタッチの画風で有名だったはずだ。
画集のページを繰ると、初期の写実的なものから晩年のものまで様々な作品が収められている。
絵に見入っていると、ドアが開く音がした。顔をあげると電話を終えたシモンが、
「何を見てるの?」
そう言いながら、笑顔で入ってくるところだった。
「ターナーの画集」
「ああ、イギリスにいた時、買ったものだね。きみはターナー、好き?」
「実はあんまりちゃんと見たことがないんだよね」
正直に告白する。
「シモンは好きなの?」
「ロンドンのテートギャラリーに彼の絵が沢山展示されてるんだ。だからロンドンにいるときはよく見に行ったよ。あの美術館は賑やかなエリアからはちょっと外れているけど、テムズ川に面しているから、散歩するにもちょうどいいんだ」
シモンは私の横に腰を下ろすと、一緒に画集を覗き込んだ。
「何度も見た絵のはずなのに、初めて見たような気がする。これはこんなに色鮮やかな絵だったんだね」
感嘆に近い呟きが彼の口から漏れた。
「色彩がすごく繊細だよね。空気を表現した、って高校の時に習った記憶があるけど、本当に絵の中には違う空気が流れている気がする」
「気に入った?」
「うん。本物が見たくなったよ」
「僕も、きみと一緒にターナーを見に行きたくなったよ。来年、ロンドンで会議があるんだ。その後、休暇を取るつもりだったんだけど、よければ僕と一緒にロンドンで過ごさない?」
思いがけない提案が嬉しくて、思わず歓声を上げてしまう。
「テムズ川の反対側には有名な観覧車もある。散歩にはちょうどいい距離だし、空からロンドンの街を眺められるよ。近くには小さな劇場も沢山あるし、きっといい刺激になるんじゃないかな。どう? 休みはとれそう?」
「行きたい! 今から計画すれば多分休みは大丈夫だと思うけど、来年の話をすると鬼が笑うよ」
シモンとイギリスに行くのは初めてではないけれど、一緒の休暇を過ごせるのだと思うと顔がにやけてしまうのはどうしようもない。でも、浮かれている場合ではなかった。年が明ける前に、もっと大事なイベントが待っているのだ。
何しろ、シモンの誕生日まであと3日しかない。どんな旅行の計画を立てるにしろ、すべては誕生日のお祝いを無事に済ませてから。今年も最高の1日にするために頑張らなきゃ。
私は心にそう誓ったのだった。