2日前:世界の解き方
約束好きなシモンが、サプライズ待ちで約束せずに誕生日当日の予定を空けているのかと思うと、それだけで今日も世界は平和だったなという気持ちになります。良いお誕生日を!
「右手と左手、どっちがいい?」
きょとんと差し出された左右の握り拳を見つめた彼は、少し考えるような素振りをしてから「こっちかな」と右を指さした。
なるほど、それじゃあ今回はプランBということで。
大きく手帳に”B”と書き込んで、何となく物足りない紙面に内心「ふむ」と呟いた私は、一度引っ込めたペン先をカチカチ出して、まだインクが乾き切っていないその文字を大きな丸でサッと囲んだ。
これでよし、ばっちりだ。
すっかり満足して顔を上げると、さっきまで時折宙に何かを書くように小さくペン先を揺らしながら、難しい単語が羅列する書類を目で追っていたシモンは、その両方を机に置いて愉しげにこちらを見ていた。
「ごめんね、仕事の邪魔しちゃったかな」
「構わないよ。そんなことより、偉大なる天才プロデューサーさん。僕は今何を選ばされたのか教えてはくれませんか?」
「あなたの誕生日のお祝いプランだよ」
あっさり教えられたことが意外だったようで「おや」と微かに目を丸くしたものの、私が彼のためにお祝いの準備をしていたこと自体には驚いていないみたいだ。
まあ確かに、この時期は去年も一昨年も、そして例に漏れず今年も、シモンの目から逃れるようにこそこそと動き回っているのだから、気付くなという方が無理があるだろう。
ただでさえ人一倍目ざとい彼に隠し事をしようだなんて考えて、下手に隠蔽工作をした方がボロが出る。
人間は学習する生き物なのだ。
「左手のプランはしてくれないの?」
「片方だけでも結構スケジュールが詰まってるし、時間的に難しいかな。プランAとB両方を詰め込んだら、1日中2人で恋花市中を走り回るはめになるよ」
「それはそれで楽しそうだね」
残念だなと呟いて、ふと彼の瞳がまるで名案を思いついたと言わんばかりに悪戯っぽく細められる。
「忘れてない?僕の誕生日は2回あるんだよ」
「……それはちょっとズルいんじゃない?」
「せっかくきみが僕のために考えてくれたプランなんだ。このままお蔵入りさせるなんてもったいないでしょ。それに僕のお祝いのために立てられたプランをどうするかは、僕が決めてもいいと思わない?」
シモンの声や口調には不思議な力がある。冷静に考えてみたらちょっとおかしな話でも、ごく当然のような澄まし顔をした彼に言われると、「確かにそうかも」という気持ちになってしまうのだ。
半分頷きながら半分首を傾げている私に、シモンが「約束だよ」と小指を差し出してくる。
私の首と同じくらいの角度に傾いたその小指に、ふらふらと誘われるように、気付けば小指を絡めていた。
ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。
ちょうど10秒くらいの短い約束の歌を聞きながら、「やっぱりおかしいのでは」という疑問が一応喉元まで出かかっていた私は、結局そんな子供っぽい約束と、指先から伝わる不思議なくらい馴染む体温に絆されてしまったらしい。
あの軽快で物騒な歌が終わっても、彼の小指が離れていくのを見守ることしか出来なかった。
卓上カレンダーをぱらぱらめくって、私以外も知っているもう一つの誕生日に丸をつけたシモンが、「楽しみにしているね」と念を押すようにニコニコ笑いかけてくる。
……まあいっか、楽しみにしてくれているなら。
閉じたばかりの手帳を開いて、Bの下に同じくらいの大きさでAを書き足す。やっぱりそれだけではどこか物足りなかったので、さっきと同様にサッと大きな丸で囲むと、そのページはほとんどそれだけで埋まってしまった。
兎にも角にも、まずは私だけが知っている彼の誕生日を祝わなければ。
分厚い本と書類に周囲を囲まれた、いつか世界中のあらゆる謎を解き明かしてしまうんじゃないかと思わせられるような天才科学者様が、「これが終わったらご飯にしようか。もう少し待ってて」と、サンタさんを待ちわびる子どものような余韻の残った声で話しかけてくる。
すでに書類に視線を戻した彼を眺めながら、私はひっそり溜め息をついた。
彼の誕生日まであと2日。
……きっと今年も喜んでもらえますように。
